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中越沖地震より8年・・・

日付:2015.7.17 投稿者:tanaka.y

 

もう中越沖地震から8年もたったんですね。

昨日からテレビや新聞などで中越沖地震の事を改めて思い出す機会をたくさんいただき、

当時の事をまるで昨日のことのように思い出せてしまっています。

 

8年も前の事になると、まだ青年会議所に入会していないメンバーも多くおりますので、

当時の実情を少しだけ書かせていただきますが、

柏崎青年会議所といたしましては、柏崎全15海水浴場での海岸清掃活動を通じて

「海のまち柏崎」という意識を市民全体の共有できるものにするための活動を行ったり、

青森から芸術家に来ていただき、中央海岸にポセイドンの砂像を作成し、

多くの方から海に関心を持ってもらう事業を行ったりするなかで、私も砂像の作成に尽力したのを覚えています。

また、柏崎青年会議所の50周年という節目の年に当たり、8月4日に大きな事業を

控えている中で、必死に皆が準備を進めていたと聞いています。

 

そんな中で中越沖地震は起こりました。

一瞬の事でした。8年前の7月16日は月曜日の祝日だったのですが、

繁忙期ということもあり、私は現場に出ておりました。

10時16分、何が起きたかもわからないくらいの地震が来ました。

周囲を見渡すと、倉庫が倒壊していたり、道路はひび割れていました。

会社や自宅には電話がつながりませんでした。

 

目の前の仕事をとりあえずのところまで仕上げて

急いでで会社に戻ろうとする中でも、通れない道路や渋滞で戻るまでに

どれくらい時間がかかったか。非常に長く感じたのは覚えています。

 

会社に戻ると、会社もめちゃくちゃになっていましたが、

まずは、お客様を回ってくるようにとの指示を社長より受けました。

必死でいろいろ回っていましたが、当社の関係者には住宅に被害はあっても

人的な被害がなかったことが不幸中の幸いです。

 

青年会議所の話にもどしますが、のちに聞いた話で、この時点ですでに

新潟ブロック協議会の目黒会長が柏崎に来てくれていたそうです。地震発生から3時間後くらいです。

社会福祉協議会にあつまり、ボランティアの計画を練ってくれていたそうです。

地元の青年会議所メンバーは皆被災者で、ボランティアに動けるのは柏崎市外のメンバーだと考えての行動でしょう。

 

当時の矢島理事長も被災者であり、愕然としながら

これからどうしら良いのかわからないなかで、社会福祉協議会に呼び出されて

行ってみたらなぜか月に一回会員会議所という場で顔を合わせている仲間たちが

集まってきてくれていて、「なんでこの人たちはここにいるんだろう?」と思ったのが正直な

気持ちだったということを8月例会の中で聞いております。

 

その後は新潟県内だけでなく、全国各地の青年会議所のメンバーに

支えていただきました。人的なボランティアはもちろんのこと、多くの募金も集めていただきました。

青年会議所だけで1000万円を超える募金をいただき、そのお金を大事に使わせていただくことで

全国の皆さまへの感謝の気持ちをつたえると同時に、

震災の悲惨さを風化させないための事業も開催させていただく事ができました。

 

そして、当時のその思いを皆に伝えることができているのかと自問自答しています。

青年会議所は、その年度の新しい問題点を改善するためにチャレンジする団体でありながらも、

先輩方の想いは継承し続けなくてはならない。そのように考えながら日々を過ごしています。

 

震災を忘れてはいけない。伝え続けなくてはならない。風化させてはならない。

当時全国から受けた恩恵を皆に伝えなくてはならない。ボランティアに大勢が来てくれたことを

忘れてはならない。またいつか、どこかで災害は起きる。その時は各々ができる限りの協力をしよう。

 

今私にできることというのは、感謝の気持ちを持ち続けることしかできません。

今の私たちの生活があるのは、新潟県内の皆様、日本全国の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

毎年7月16日にこの気持ちを改めて感じ続けていきます。

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