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まちしるべ

まちしるべ事業

                     宣  言
私たちは、次世代にすばらしいふるさとを継承していくため10年間にわたり、50基以上の「まちしるべ」を柏崎全域に設置する。
ふるさとの誇りをもって、ここに「まちしるべ」事業の開始を宣言する。

1997年11月6日 社団法人柏崎青年会議所                                          

「まちしるべ」事業とは

「まちしるべ」事業とは柏崎の魅力をアピールする標識設置事業です。
標識によってふるさと柏崎全域の「宝物」に光をあてようという事業である。標識のデザインは柏崎JCのメンバーによって創られました。
40周年記念事業としてメンバーの総意のもと、創立50周年に向けて10年間にわたり、50基以上の「まちしるべ」を設置する事業を展開しています。

まちしるべMAP、文言一覧表

まちしるべ50基のMAPと物語の一覧表はこちら。 まちしるべ①(PDF)  まちしるべ②(PDF)

スマートフォンなどでナビに活用できるまちしるべマップはこちら
まちしるべ紹介

かしわの大樹      西本町3 水道橋公園内

今から700年ほど昔、鵜川の河口から少し上流のあたりに漁師の船着場がありました。そこから見える向こう岸になんご沢(レンガ坂)、その頂上付近には「大きなかしわの木」がそびえ、遠く海上より手こぎの船でかしわのさきをゆく漁師の大切な目印となっていました。
この「かしわの大樹」が柏崎の名前の由来ともいわれています。

番神山政三郎 番神2 夕日が見える森公園内

「相撲じゃ番神、柔道じゃ石黒」と柏崎の民謡・三階節にも唄われた番神山政三郎は、柏崎市岬町(現在の番神)出身の力士です。初土俵は1927年1月、最高位は前頭二枚目で1934年5月の天覧相撲で優勝しました。
番神山が相撲界に入った昭和初期は世界的不況の暗い時代でしたが、そこに彗星のごとく番神山が登場しました。地元柏崎刈羽の人々のみならず、新潟県民も大変誇りに思い、世の不況を吹き飛ばすほどに熱狂し、声援を送りました。

鬼穴 鯨波2 鯨波海岸

その昔、この穴に赤鬼が住んでいました。鬼は娘を捕らえては食べ、村人たちを苦しめたので、神様に鬼を追っ払ってもらおうと、下宿(今の番神)の番神さんにお願いしました。
番神さんは29人の仏様を従え、うちわ太鼓を打ちならし声を張り上げ、お題目をとなえて穴に近づきました。太鼓の音と仏様の声に、赤鬼は穴から逃げていきましたとさ。

松田伝十郎生誕地 米山町 聖ヶ鼻

樺太海峡の第一発見者である松田伝十郎は、1768年に鉢崎村(現在の米山町)の浅貝家に生まれ、13歳の時に幕臣松田家の養子となりました。のちに北海道松前奉行所勤務になり、1808/年に間宮林蔵と共に樺太の探検に出かけ、林蔵より早く樺太海峡を発見、「カラフトは離島なり、大日本国国境と見極めたり」と宣言しました。
ここは、聖ヶ鼻など伝説の宝庫でもあります。かつて鉢先関所が置かれ、俳人芭蕉が泊まった「たわら屋」跡が残されています。

鴨丸の剣  剣野町 三島神社境内

天平13年(741)、愛媛大山祇神社より分祀された三島神社には、神宝の一つとして剣が祀られていました。保安4年(1123)、この剣が盗まれましたが、盗賊は神罰により逃げる途中、南にある延命池で溺れてしまいました。
一羽の鴨がこの池の底から剣をくわえて飛び立ち、南東の丘に落としました。剣は地中深く沈み、それ以来「延命池」を「鴨くぐり」と呼び、剣が沈んだ所に「鴨八幡宮」を祀り、この辺りを「剣野」と呼ぶようになりました。

弘法大師の塩水井戸 西長鳥 岩ノ入踏切下

ある夏の夕暮れ、一人の旅の僧侶が岩の入を訪ねて、一軒の貧しい家に一夜を乞いました。老婆は「お宿はかまいませんが、一飯をさしあげようにも味噌も塩も切れ申しましたが。」と答えました。その夜、老婆の心づくしの食事も「塩気なしの芋粥」でしたが、旅の僧侶は快く馳走になりました。
翌朝、老婆を庭先に誘った旅の僧侶が、手に持った錫杖を力いっぱい大地につきさすと、その先から渾々と湧き出たのがこの塩水です。旅の僧侶は「弘法大師」でありました。

藤井城址 JA柏崎北鯖石支所奥忠霊塔公園内

江戸時代のはじめ、ここに城がありました。城主の稲垣平右衛門尉重綱は、大阪夏の陣、冬の陣で手柄をおさめ、徳川家康からほうびとしてこの城をいただき、その後、大阪城代まで出世しました。 藤井城のあった地は「豊岡」と呼ばれ、典型的な平城です。城主が二年余で三条に移封され、完成はしませんでしたが、城下町としての名ごりが、大手門、鍛冶屋敷、足軽屋敷、うまやなどの地名にのこり、碁盤目状の区画が当時の面影を伝えています。殿様が大切にしていた観音さんが、城址の古井戸から出てきたという伝説ものこっています。

不動院の龍燈木 土合 不動院門前

この寺の縁起によれば、寺は平安時代に建立され、拘留孫佛(阿弥陀如来)が本尊様として安置されています。 昔、村の人たちが朝早く起きて、別山川から田んぼに引く水をてっぽうで上げていると、明けの明星のように、光るものが東の空から西の空へ流れていきました。これは龍神様が燈を献じたものに違いないと信じました。このよろんごの木にときどき龍神様が燈をあげたことから、「龍燈木」と呼ばれるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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